SOSを出すこと、愚痴を言うこと

とても痛ましいことですが、毎年、多くの人々が自殺によって亡くなられていることは、報道などで見聞きされることがあるかと思います。いま、手元に統計資料がないのですが、全体的には、横ばい~減少傾向にある模様ですが、10代の自殺については、増加する傾向が見られるようです。これはいったい、なぜなのでしょうか?

法律によって、国レベルでさまざまな自殺予防対策が講じられ、成人に対しては、さまざまな自殺対策アプローチが奏功した面もあるかもしれません。精神的な面へのケアだけではなく、経済的不安や困窮への支援ネットワークも、まだまだ課題はありつつも、多層的に構築されてきていると感じます。(ただ、成人で自殺の増加がみられない点については、統計上は自殺として扱われていないケースがあることも関係しているかもしれませんので、留意が必要でしょうか。)現在、未成年の子どもたちへの相談受け皿や精神的ケアサポート資源も多くなっていますが、でもなかなか、子どもたちの自殺の増加を食い止めるまでは至っていないようです。近年設けられるようになったLINE等の相談窓口は、今の10代の子どもたちにとっては、馴染みやすいと思われますので、より活用されれば、と思います。

人は、生きていると、年齢を問わず、さまざまな困難に出会います。安全を脅かされるような状況が降りかかったり、大病を患ったり、ある日突然生活が一変するかのような不幸や大災難に見舞われたり。災害のように未然防止が極めて困難な事態とは別に、特に人間関係においては、大人だけではなく、子どもたちも、日々、他者との何らかのかかわりのなかで、ストレスを感じることがあるでしょう。一番近いところでは、家族との関係ですが、毎日(ほぼ)一緒に過ごすだけに、家庭でのストレスが大きいとその息苦しさは継続・蓄積していくいだけに、日常化し、「そういうもの」と自分に言い聞かせたり、見て見ぬふりしたり、適切ではない対処手段によって、自分の外に追いやってやり過ごしている人々も多いでしょう。

大人ならともかく、子どもたちとなると、その難しい環境を改善することや脱することは、容易ではないと思われます。そこで、無力感を募らせると、もはや、諦め切ってその環境に迎合することすらあるでしょう。「つらいな…」と感じたり、「自分の方を見て、気にしてほしいな」「お腹すいたな」と思っても、周りの人にスルーされてしまう事が続くと、否応でもそのような状態を受け容れざるを得ないのではないでしょうか。そうなると、自ら、「つらい、助けて」と発信することは、思い付きもしないですし、「自分のような存在は、助けを求める資格などない」との思いに至るのだと思います。

とくに、現代の子どもたちは、学校生活での対人ストレスとともに、SNS・オンラインゲームを含むネット上での人間関係も同時に抱えることがあり、より複雑化したコミュニティに身を置かざるを得ないという側面もあるでしょう。リアルの世界で「自分には助けを求める資格はない」と無力感に打ちのめされている人は、もはや、リアルな所からは遠ざかり、リアリティの薄い環境に居場所を見出すことも多いのでしょう。彼らはリアルの他者とつながりやすい環境にいる訳ですが、やはり、リアルの人間関係と同じく、「なかなか自分の思い通りにはならない」という現実に突き当たることはよくあることです。そのような現状の中、「わかってもらえるのでは?」との期待が大きいと、ネットの中でのトラブルや、自分をないがしろにされるような体験があると、余計に心の傷が大きくなってしまうこともあります。

それでは、いったい、どうしたらいいのでしょうか?まずは、身近なところで、「否定せずに自分の話を聞いてくれるな」という人を、一人でも作っていただけたら、と思います。相手の動きや雰囲気を見て、「この人なら」と思える人を探す。それには勘が必要ですし、ひとたび信じた人にも、「やっぱりわかってもらえなかった…」ということもあるかもしれませんが、どうか、あきらめずに、あと3人~4人くらいは当たってみてください。必ず、少しでもあなたをわかってもらえる人に出会えます。「わかってもらえる」ほどでなくても、お互いに本音を語り合えたり、愚痴を言い合ったりできるとずいぶん助かるはずです。

お互いに、愚痴を言い合える人の存在はとても大きく、「つらいけど、なんとかやっていきたいな」という心のセーフティネットになるでしょう。そのような相手は、お互いの年齢も、もはや関係ないかもしれませんね。そういう相手から、今まで真っ暗だった心に明かりを灯してもらうようなことを経験したら、自分もまた、別の誰かの心の明かりを灯せる人になりたくなるものです。世知辛い世の中、皆、自分のことで精いっぱいかもしれないですが、「あの人は、いま、真っ暗闇のなかに居ないかな?」と、アンテナをはって、よく見て、声をかけていけたらと、願っています。