当院より、痛みの治療についてご説明します。
痛み治療
原因不明の痛みに苦しんでいる患者さんがたくさんいます。舌が痛い(舌痛症)、腰が痛い、頭が痛い(片頭痛とも筋緊張性頭痛とも診断されない)、足の指先が痛い、など、体のあちこちが、場合によっては全身のあちこちが痛みます。そもそも、痛いのかしびれているのか火照っているのか、と尋ねられても何とも答えようがない「ジンジン」「モゾモゾ」「ムズムズ」「ゾワゾワ」としか言いようがない感覚、などなど、痛みに似た感覚はいろいろなものがあります。
そういう患者さんは、あらゆる医学的な検査、たとえば血液検査、心電図、レントゲン検査、超音波検査、MRI検査などを受けても異常が見つかりません。もしくは仮にそのような検査で何らかの異常があったとしても、その医学的検査の異常では痛みの原因を説明できません。
そのような痛みを訴える患者さんについて、内科や整形外科などの医療現場では、「ストレスが原因の痛み」「心の問題」「心因性疼痛」「疼痛性障害」などと説明され、しばしば「精神科か心療内科で相談を」と受診を勧められます。「線維筋痛症」と診断され、私たちのところに紹介される人もいます。
そのような痛み、原因不明の慢性疼痛に悩んでいる患者さんが私たち心療内科の診察室を訪ねられるのです。
それでは、私たち心療内科医・精神科医は、痛みの治療に詳しくて上手く痛みを治療できるのか、と問われると、「どちらとも言えない」のが現状だと思います、それは、次のような事情があるからです。
なぜ痛むのか
私たちの体はなぜ痛むのか、痛みの原因は何か、痛みを感じるメカニズムはどうなっているのか、そういう疑問に対して、最近では「脳が痛みを感じる」との説明がなされています。たとえば、「医学的原因不明の腰痛の8割は脳が原因」「痛みを感じる視床の異常活動」「視床と前頭葉との神経回路の異常」などなど。しかし、そのような説明は、まだ仮説にすぎません。そもそも、「脳が痛みを感じる」という説明は、「脳は五感の集まる中枢(センター)」という、昔からわかっていた知見の言い換えにすぎません。人が痛みを感じる時に、心はどう関係しているのか、という疑問や、脳ではなく「心が痛みを感じる」とは言えないのか、といった心と脳の関係の問題(心脳問題)は棚上げにされているのです。
原因不明の痛みの治療、慢性疼痛の治療実際
実際の医療の現場では、「原因不明」となると匙を投げる医者が結構たくさんいます。内科や外科の医師は「自分の専門領域ではない」として「わからない」=「心療内科・精神科へ」と紹介します。ところが、そういう患者さんを受け持たされた心療内科・精神科の医者の方も、「痛み」=体の問題として、本来「心」を診るのが専門の医師としては「自分の専門領域ではない」とみなしがちです。そういう事情から、医学的な原因不明の痛みに苦しむ患者さんは行き場を無くし、困ってしまいます。
私は以前に癌治療、緩和ケアの現場で働いておりました。そこでは痛みを和らげることは大事な課題でした。内科や外科、整形外科などの主治医と連携して、私たち緩和ケアチームが患者さんの痛みを緩和する方策を考えていきました。痛みの「原因」を考えるよりも、痛みを「治す」「苦痛を和らげる」「楽にする」ことが目標でした。
一般に、同じような程度の病気やケガ、たとえば急性心筋梗塞や骨折であっても、痛みを感じる程度は千差万別です。また、同じ人が同じ病気やケガをしても、時や事情によって痛む程度は様々です(例:スポーツ選手が試合中に骨折したのに痛みを感じず、試合が終わってから初めて強い痛みを感じ、引退後にその古傷の痛みが強まる)。
緩和ケアの現場にいる医療者ならば身に沁みてよくわかっていますが、患者さん一人一人によって痛みの感じ方が大きく違うのです。同じような痛みやケガでも、痛みを和らげるために必要な鎮痛剤の量は大きく違ってくるのです。
先ほど、現在の医学では、痛みを感じるメカニズムはわかっていないと言いましたが、どのように治療すれば良いのか、痛みの治療法についてのノウハウはあるのです。それは、統合失調症やうつ病の脳の病理が不明であっても治療できるのと似ています。慢性の痛みに使う薬物を考えてみても、解熱剤・鎮痛剤、医療用麻薬(オピオイド)、抗うつ薬、抗てんかん薬、ステロイド、抗不整脈薬、などがあり、それらをいつどんな量で投与するかは医者のさじ加減ですが、医者の腕の見せ所です。痛みの治療の現場では、医師が痛みに苦しむ患者さんの訴えをよく聞いて、痛みの種類と程度を推し量り、薬物の種類と量を選択し投与し、投与した薬物への反応をよく見聞きする、という経験と思考を繰り返した上でやっとつかめる臨床感覚です。これは、簡単なマニュアル化ができません。
心療内科医から見た慢性疼痛の原因と治療
ここまでは、痛みには個人差があるし痛みの治療もいろいろ、という話でしたが、心療内科医としては、心の面から見て、心がどう痛みに関係するかを考えたいと思います。ここでは、医学的な原因の有無に関わらず、痛みと心の関係についてお話しします。
私たち心療内科医が出会う慢性疼痛の患者さんが痛みを発症するきっかけや状況として、次のようなケースがあります。
痛みと不安
小学校に入学したばかりの子どもが、たとえば原因不明のお腹の痛みを訴える、時にはその腹痛で不登校になる、ということはよくあります。新しい環境になじめず、ストレスを感じている時に痛みを発症するのは小学生ばかりではなく、大人でも同じです。職場の異動や、引越による環境変化に対応しがたい時に体の痛みが生じることがあります。このような場合、ストレスの原因となった環境変化に対して介入をすること(異動で痛みの症状が生じた会社員ならば、上司の理解を得られるように話し合う、作業するデスク位置を変えてものを尋ねやすい人のそばにする、再度の部署異動など)はもちろん有効ですが、痛みを訴える患者さんが自分の不安と向き合い、環境に適応する力をつけていけるように助言・カウンセリングをしていくことも大事です。
痛みと孤独
三島由紀夫の小説『仮面の告白』では、幼き頃の主人公が、慢性疼痛に苦しむ祖母にたびたび呼ばれて慰めに行く場面が描かれています。その祖母の痛みは、かわいい孫がそばにやってくると和らぐのです。この祖母の痛みの原因が孤独であるとは言えないかもしれませんが、少なくとも孤独な状況が痛みを悪化させ、孤独感が和らぐと痛みも和らぐのです。
リウマチや癌のように実際に痛む原因となる病気の有る無しにかかわらず、孤独感に苦しむ人が痛みを訴えるけれども、誰かが痛む人の側にやって来るだけで痛みが緩和されることもあるのです。
そのような人に対しては、もちろん孤独にしないように医療者やご家族が寄り添うことも有効ですが、痛みに苦しむ患者さんがどんな人との触れ合いを求めているのかを一緒に考えるとか、患者さん自身が御家族や社会とのつながりをどのように築き上げていきたいのかを考えることが痛みの緩和につながります。たとえ難病や癌の末期にあっても、家族や社会に伝えたいメッセージを伝える手段はあります。(最近はブログやSNSを通してそういう活動をしている人も結構いますね)
痛みと怒り
痛みと怒りの関係、と聞くと不思議に思われる人が多いかもしれません。しかし、これが意外に多いのです。たとえば、部活動の指導者や会社の上司から理不尽な叱責やハラスメントを受けている時、子どもが親から虐待を受けている時、そういう時に腰や肩などが強く痛むことがあります。このような場合、痛みを感じている患者さんは、その多くが怒りを自覚していません。それはなぜかと言いますと、たとえば、親から虐待を受けている幼い子どもを考えてみればわかるように、自分が頼ることができるのは親しかいなければ、親に怒りを向けるわけにいきません。そういう苦しい状況に対しての身体の反応・身体の表現として痛みが生じるのです。
このような場合、治療の始まりはまず患者さんが置かれている状況をよく聞くことは当然ですが、患者さんは自分の怒りの感情を感じないようにしていることが多いので、事実関係の話ばかりではなく、物事に関する感想や感情を出しやすいようにして(時には絵を描いてみるなど芸術療法を通して)、表現された感情について共感して話し合い(怒りの感情が生じるのは当然であったことを振り返るなど)、治療やカウンセリングの場で豊かな感情表現ができるようにすることが必要です。そういう作業が進んでくると、怒りの感情と共に嘆きや哀しみ、先々の不安が表現されてきますが、痛みは和らぎ、悩みながらも心は豊かになっていくものです。