社交不安障害(対人恐怖)の治療;自己治癒力と自助グループについて

昨今、社交不安障害(対人恐怖症、SAD)は、パニック障害と同様に、「脳のセロトニン不足」などと言われ、単純に「脳の病気」モデルで説明されます。しかし、このセロトニン不足という医学的説明は、「セロトニン仮説」と呼ばれる通り、あくまで「仮説」にしか過ぎません。セロトニン再取り込み阻害薬(SRI、SSRI)が社交不安障害の治療に効果がありますが、同薬は、うつ病やパニック障害、強迫性障害の治療薬でもあります。どの病気に対して、どのようにセロトニンが作用しているのか、はたしてセロトニンだけが病気の原因なのか、など、まだわかっていないことだらけなのです。
そのような医学研究の問題は研究者に任せておけば良いのですが、私たちの臨床現場において、社交不安障害やパニック障害がセロトニン仮説を元に「単なる脳の病気」とみなされ、患者さんにそういう単純な説明をする傾向が強まっていることは、問題だと思います。

ある社交不安障害(対人恐怖症、SAD)の患者さんは、いくつかの心療内科や精神科にかかりましたが、いずれにおいても、「セロトニン不足」「薬を飲むしかない」と言われただけでした。(カウンセリング、認知行動療法や森田療法などの精神療法の話は一切無かったそうです。)。こうなると、SADの患者さんは、単に「不幸な脳の病気にかかっている人」であり、医師による薬物療法を受けて回復を待つだけの、受け身の姿勢にならざるを得なくなります。手術を受ける人が医者任せにするのと同じです。「セロトニン不足」の説明だけでは、患者さんの自己治癒力は全く無視されています。
しかし、多くの病気がそうですが、患者さんには自己治癒力があり、医師はそれを上手に引き出すことが大切です。患者さんが病気や障害に立ち向かう勇気を持てるようにすること、自己治癒力を高めるためにどんな養生をしたらいいのかをアドバイスしていくこと、それこそが本当の治療になるのです。

では、患者さんの自己治癒力を高めていくためには、どのように助言していけば良いのでしょうか?

まずは、彼らとの出会いの場面が大事です。

社交不安(対人恐怖)の人は、対人場面、他人と挨拶したり雑談したり、集団の前でスピーチをしたり、人前で文字を書くことを怖れたりします。また、彼らは、自分がそのような恐怖症を持っていることをふがいなく、恥ずかしい、と感じてもいます。過去に家族や友人から「そんなくだらないことで悩むなんて」「性格の問題」などと言われて傷つき、誰にも悩みを話せず、一人で悶々としていることもあります。人によっては、何年もの間、引きこもり状態になっています。

そんな彼らが受診を決意し、医者の前に相談に来る訳ですから、私たち治療者の側は、まず彼らが勇気を持って受診したことをねぎらいます。と同時に、何が彼らを治療に向かわせるきっかけになったのかを尋ねます。すると、「引きこもってばかりで親に金銭的に負担かけてばかりではいけないと思ったから」とか、「母親として、集団場面を避けてばかりいたら子どもが成長できなくなるから(対人恐怖を)治そうと思った」といった話が出てきます。まさにここに、彼らが自分自身を変えようとする動きが生じている訳ですから、それは自己治癒力の表れです。またここには、彼らの治療目的が表れています。そこを理解して私たちは、彼らの勇気をねぎらった後、具体的な治療目標を設定していきます。(「まず一人でコンビニに行く」「近所の人に挨拶する」「ママ友の集まりに近づいて5分間過ごす」など)
社交不安(対人恐怖)の治療においては、薬物療法も有効ですから、希望される方にはSSRIなどの向精神薬や、漢方薬を処方します。

後はその都度の診察やカウンセリングで、達成できたことを確認して次の治療目標を設定し直したり、対人関係で生じた問題を話し合ったりしていくことになります。患者さんの行動範囲・対人関係は徐々に広がっていきます。

ただ、そんな風にうまく治療が進むばかりではありません。社交不安障害(対人恐怖症)の人の場合、診察室やカウンセリングルーム内では、自分の秘密である対人恐怖を打ち明けた医者やカウンセラー相手なので緊張はしないけど、一歩外に出ると、たとえば本屋さんの店員に物を尋ねることにさえ強い恐怖を抱く、ということも珍しくありません。そのような場合、診察室以外の場所で彼らが「仲間」と思える人ができると治療が進みます。
この事実は、昔から知られており、対人恐怖に悩む人たちが集まって話し合う会が作られてきました。今で言う「自助グループ(セルフヘルプグループ)」です。森田療法に共感した人たちが作った「生活の発見会」が有名ですが、最近はネット時代なので自助グループが作られやすいためか、社交不安の人のための自助グループがいくつもあります。

自助グループという、同じ悩みを持っている人たちの中ならば、対人恐怖を持っている人にも入っていきやすいものです。特に、人前でスピーチをすることに恐怖が強い人にとって、自助グループは会社の会議やPTAの集会よりもずっと抵抗が少なく、良き練習の場になります。

自助グループのもう一つのメリットは、自分を客観的に見る視点が持てるようになることです。対人恐怖症の人は、人前でひどく緊張して動揺して「声がうわずって心臓がバクバクしてダラダラ汗が出てきて」、などと自分の状態を説明しますが、他者から見るとそれほどの状態でもなかったり、その緊張に気づかないことも多いのです。ただ、そういう事実を治療者がカウンセリングの場で話して理屈で理解してもらうとすると、「この症状に悩んでいない人にはわからない」と反発されることがよくあります。そんな時、患者さんが自助グループに参加すると、同じく対人恐怖に悩んでいる人が緊張を自覚しながら話していても、傍目からは落ちついて見えることを目の当たりにします。そうすると自分も同じであることが理屈抜きで理解できます。認知行動療法以上の効果があります。

他にも自助グループ参加のメリットはあります。自助グループに参加し続けていると、人間関係ができてきます。すると、対人恐怖症の症状が無くとも、他人とのコミュニケーションの難しさを感じるようになります。相手の気持ちを誤解していたとか、自分自身のことをちゃんと理解してもらえるようにするにはどのような表現をすればいいのか悩む、とか、様々な悩みが起きてきます。でも、その悩みは、人間社会に暮らす人の多くが抱える悩みであり、対人コミュニケーションの場に生じる自然な「怖れ」です。この怖れは、対人恐怖症の怖れよりも一段階レベルが上の悩みであり、この悩みについて考えていくことは人間としての成熟につながります。社会でいろいろな人と接していけば、悩みは尽きませんが、そういう心境に至った時には、対人恐怖の症状は忘れられているか、大した悩みではなくなっていることでしょう。