恐怖症の治療、薬物療法について

恐怖症とは、ある状況に対する強い恐怖を感じる症状です。

恐怖症には、その人が怖れる状況によって呼び名が違います。閉所恐怖(車の渋滞や電車、人混みなど、すぐに外に出られない場所を怖れる)・高所恐怖・対人恐怖(人を怖れるというより、人前で恥をかく状況を怖れるのです。たとえば、人前でスピーチをするとか、人前で電話をするなどの際に赤面や声の震えなどが起きることを怖れるなど。)・広場恐怖(自宅から外に出ることへの恐怖。外でパニック発作が起きることを怖れ、引きこもりになってしまいます)・不潔恐怖・先端恐怖(鉛筆や包丁など、尖った物を前にすると強い恐怖を感じる)などなど、いろいろな状況に対する恐怖症があります。
これら全てを恐怖症として一括りにすると、対人恐怖症(社交不安障害)もパニック障害も強迫性障害もPTSDも恐怖症として一緒になってしまい、その治療もカウンセリングも同じだと誤解されてしまいそうです。その点は違うのですが、共通点もあります。たとえば、ある人が対人恐怖と広場恐怖の両方の恐怖症を持っていることは珍しくありません。パニック障害もPTSDも同じ種類の認知行動療法で治ることがあります。今回は、恐怖症全般に共通することとしてお話ししたいと思います。

恐怖症について話すと、健康な人からは「私だって渋滞にはまると嫌な気分になる」とか、「俺も人前で話す時に緊張するよ。みんな一緒だよ。」などと言われます。
たしかにそれはそうなのですが、恐怖症の人が感じる恐怖感と健常な人が感じる不安感とではずいぶん違いがあります。たとえば、人前で話すこと、スピーチ恐怖を持っている患者さんは、スピーチの時だけに緊張するのではありません。彼らは、会社の朝礼で短い挨拶をするだけだとわかっていながらも、何ヶ月も前から不安で眠れなくなり、スピーチの場面を想像するだけで冷や汗が出るほどです。そして、スピーチの本番になると激しい動悸がしてひどい汗をかき、声が上ずり、手足が震えます。過呼吸になってしまうこともあります。そのためにスピーチの途中で話せなくなってしまうこともあります。健康な人がスピーチの時に感じる緊張、単なる「あがり症」と、対人恐怖症とではずいぶん恐怖や緊張の程度が違うのです。

それでは、恐怖症の人の恐怖感と、正常な「緊張」は全く別物なのかと問われると、それも違う、と言えます。恐怖症の患者さん自身が実感しているところですが、当初はいつもの不安緊張だと思っていたのに、繰り返し苦手場面を経験するうちにだんだんと強い緊張になり、ついにはその場にいられないほどの恐怖感を感じてしまった、ということはよくあります。

歯切れの悪い話になってしまいましたが、恐怖症と一口に言ってもその程度は様々で、たとえば閉所恐怖ならば、ジェットコースターのような特殊な乗り物だけに乗れないだけで普段の生活では困らない、という程度から、仕事で馴染みのお客さんと話している時に拘束感を感じて逃げ出したくなる、とか、わずか5分間とわかっている通勤の普通列車に乗れないという程度まで、様々な恐怖のレベルがあります。その恐怖の程度に応じて、生活や仕事上の支障が異なってくるのです。

治療すべき恐怖症とは

では、恐怖症を病気として治療すべきポイントはどこにあるのでしょうか? それは恐怖の程度による、と思っている方は多く、精神科医やカウンセラーでもそのように考えている人も少なくないのですが、それは違います。強い恐怖を感じたことだけで必ずしも治療が必要とは言えません。恐怖症の人が苦手な場面で強い恐怖をおぼえることは、たしかに強い苦痛でが、それでもめげずに苦手な場面でも繰り返し挑戦している人は、自然に恐怖症が治っていくことも多いものです。
恐怖症の症状を悪化させてしまうのは、恐怖を感じた回数によるものではなく、恐怖を感じる状況を避ける行為、「回避」行為によります。たとえば、閉所恐怖で電車に乗るのが怖い人があえて長時間かかる車通勤に変えるとか、スピーチ恐怖の人が朝礼の挨拶を避けるために朝礼のある日は仕事を休むといった、苦手場面を避けること(回避行為)が、恐怖症を更に悪化させるのです(回避したことにより、私たちの無意識のうちに私たちの脳は「回避すべき大変な状況だった」と学習してしまうのです。回避しなければ「それほどでもなかった」と思えることが、ひどい恐怖状況と記憶されてしまうのです。)。
そう考えると、恐怖症を治療すべきかどうかのポイントは、回避行動にあります。恐怖症によって回避していることがどの程度あるのか、その回避によって生活や仕事にどのくらい支障が生じているか、という視点で恐怖症の重症度をとらえ、治療の必要性を考えていくのです。

恐怖症は「甘え」なのかーー子どもの恐怖症について

恐怖症への対応については、患者さん自身も周囲の人も根性論になる傾向があります。「精神的に弱い」のだから、カウンセリングや薬に頼らずに自分で治すように、と言われることもあります。特に、児童思春期の子どもの恐怖症の場合、「子どもは不安を乗り越えて成長するものだ」とみなされて、カウンセリングどころか薬物療法なんてとんでもない、そんなのは「甘やかし」だ、などと反対されることもあります。しかし、子どもの恐怖症でも、回避の程度が大きい場合は積極的に治療すべきです。たとえば、対人恐怖や閉所恐怖のために不登校になるとか、閉所恐怖や不潔恐怖のためにそれまで一生懸命やってきた運動や芸術、勉強などを投げ出してしまうという場合、大事な成長期に勉強や運動で上達し、交友関係を作るという機会を逸してしまいます。恐怖症から物事を回避することの損失はかなり大きなものがあります。
そのような場合、必ずしも薬物療法が必要とは言いませんが何らかの治療をすべきです。
成長期にある子どもが治療を受けて恐怖症を治すことは、決して「甘やかし」ではありません。恐怖症が治っても、子どもたちは勉強やスポーツ、交友関係などで悩みます。大人としてのアイデンティティを獲得するまで、苦労や努力を要するものです。そのような現実的な悩みや苦労の方が、恐怖症で悩むよりもずっと有益な苦労です。治すべき病気は治し、人生の課題では大いに悩んで努力を続けることが子どもたちの成長につながります。(もちろん大人でも、恐怖症で悩むよりも仕事や子育てで悩んで考えて、大人として成長する方が良いでしょう。)

このような視点から、子どもに限らず大人でも、恐怖症の治療においては、恐怖を感じなくすることが第一目標ではなく、恐怖を持ちながらも仕事や生活に必要な行動は続けていくことを目標とします。つまり、回避行動を少なくしていくことが最初の目標となります。患者さんが自分の人生の目標に気づき、それを達成するためには恐怖症があっても避けずに挑戦を続けていく勇気を持てたならば、恐怖症はおのずと軽くなり、治っていくものです。