緩和ケアでの経験、「スピリチュアルケア」

重い病気に罹った人は、「なぜ?」「どうして?」「この私が(こんな病気になった)?」と、発病の「原因」「理由」を考え、私たち医療者に疑問を投げかけます。

私たち医療者が、そうした彼らの「なぜ?」という問いが何を問うているのか、その問いの深さはどのレベルにあるのか、そこを取り違えると行き違いが生じてしまうし、心が通わない治療関係になり、関係がこじれます。

今まで私がそういうことを考えさせられた患者さんたちの中で、緩和ケアでの診療経験からお話したいと思います。(プライバシー保護のため、事実とは改変しています。「死」について考えたくない、という方はこの先を読まないでください。)

Aさん。50代前半の男性、高齢の母との二人暮らしでした。彼は進行性の肺癌のため、入院しました。彼は医療者として、入院前まで総合病院で働き、多くの癌患者さんたちの看取りの仕事もしてきました。彼は自分の肺癌の発病当初、自分の発癌を気づかなかった悔しさをひどく嘆き、「タバコも吸わなかった俺がなぜ肺癌に?」と主治医にも尋ね、「不摂生がなかったか」と自問自答もして、苦しんでいました。理科系出身であり、何事も筋を通さねば気が済まず、同僚らから「理屈っぽい」「堅物」などとも言われていた彼は、当初はまず発癌の「医学的理由」を尋ねる質問としての「なぜ?」の問いを発していたのです。

「自分の病状は包み隠さずきちんと知らせて欲しい」という彼に対し、彼の内科の主治医は事細かな説明をしました。その上で、Aさんは自分の余命が少ないことを知りました。

初回入院では、Aさんは化学療法での治癒に望みをかけていました。しかし、残念ながら化学療法は奏功せず、彼の病状は進行していきました。

Aさんは元々ちょっと短気な性格でしたが、入院してからよりいっそう短気になって怒ることが多くなり、彼のケアをする看護者に対して攻撃的になりました。時には看護者に激しい罵倒を浴びせました。「俺だったら患者に対してそんな言い方をしない」「こんな処置の仕方があるか」「なってない」などと看護師を責め立て、病棟環境への不満をぶちまけ、軽い暴力を振るうことも度々ありました。マニュアル的で機械的なケアをする看護師よりも、Aさんに対して同情的で親身になってケアする看護師の方がむしろ、Aさんからの攻撃を強く受けていました。

病棟の看護師たちからのAさんへの拒否感は高まり、厄介者払いをするように、Aさんに他の病院へ転院してもらうことを提案する人たちも出てきました。私たち緩和ケアチームは介入し、Aさんとの対話を重ねました。

私はまず、彼の言い分を聞くだけ聞きました。すると彼は、「医療者としてもっと長く働きたかった」との無念の思いを遠回しに口にしました。私は、彼の怒りの中に、「今までは医療者として私たちの仲間であったけれど、今や一人の患者となってしまった」孤独感があると理解しました。また、彼が看護師の温かいケアに接すると、これまでの医療者としての自分の仕事を反省させられたり、自分はもう医療者としては働けない現実を突きつけられたりするように思える哀しみがあるがために、Aさんは優しい看護師に対して攻撃的になっていると思われました。

そうした私たちの理解や共感が功を奏したかどうかわかりませんが、だんだんとAさんの嵐のような怒りの爆発は緩んできした。すると彼は外泊して身辺整理を済ませてきました。そして彼は自分の人生を見つめ直すようになり、「なぜ俺はこんなに堅苦しい生き方しかできなかったのか」と自問するようになりました。

彼はそれまでに興味を持っていなかった心理学の本を読み始め、「人間は生まれた時に『純白の石板』を持って生まれてくるのか」と考え始めました。

人は誰しも生まれた時に「純白の石板blank slate」を持つが、文化や教育の環境を経て心という石版にいろいろな書き込みがなされるのか、それとも元々持って生まれた素質が大きいのか、という心理学でおなじみの「氏か育ちか」「遺伝子か環境か」という問題に関してのテーマの本を、彼は読みながら、自分の人生を振り返り、考え始めました。各種のデータを提示して実証的なことが書いてあったその本は、理系出身の彼になじむ説明であったようです。

彼は私に「専門的なことを教えて欲しい」と、医学や心理学に関した学問的な質問を次々としてきて、私に知らないことがあれば私は馬鹿にされた記憶があります。

そうした本を読みながら彼は自分の生育環境を振り返り、「俺には母親のしつけの影響が大きかった、でも元々攻撃的な遺伝子があったようだ」などと話しました。彼はそのようにして自分の人生を振り返り、「自分はこのように生きるしかなかった」と、客観的な視点から考えて、自分の運命につき納得するように努めていたようでした。

しかし、ほどなく彼は心理学の本を含めて全く読書を止めました。彼にはまだまだ私たちに悪態をつく元気はあったし、本を読むだけの体力はあったのですがパタリと読書を止めました。私への心理学・精神医学的な質問も無くなりました。

そして、あらためて彼は、「なぜ俺はこんな(状態)なんだろう」と繰り返しつぶやくように言いました。

それは私たちへの質問でもありましたが、どこか虚空へでも問いかけているような語り口でした。その時の彼を前にすると、彼は今確かに私たちの前にいながらも、どこかここにいないかのようであり、以前と違ってどこか“力み”がない姿勢になったように感じられました。

この時点での彼の「なぜ?」の問いは、心理学的な思考、原因結果論による回答を求めるものではなく、「今、ここに私がこうして生きている」ことの不思議、自分が死ぬとはどういうことなのか、それについてのリアルな不思議についての問いかけであり、先の「石板」の例えで言えば心という石板がどう書かれたか(つまり「自分はなぜこんな性格なのか」)が問題ではなく、「石板」がなぜあるのか(つまり「自分はなぜこのようにこの世にあるのか」という存在論的な疑問)という問いであり、これは「スピリチュアル」なレベルの問いかけだと思われました。

この、スピリチュアルなレベルの「なぜ?」の問いは簡単に答えられるものではありません。そもそもこの「なぜ?」は質問でもないとも言えます。「摩訶不思議」を前にした人の嘆息とも言えます。

こうした「なぜ?」の問いには、心理学や精神医学は無力です。

私たちの性格がどう形作られるか、衝動的攻撃的になりやすい遺伝子はあるのか、といった問いに対しては、精神医学や心理学がたくさんの答えを用意してくれていますが、そもそもなぜ「私」は「今」「この世に」あるのか、というスピリチュアルな次元の問いに対して答えられません。Aさんの問いかけに対して私は、「うーん」「ほんとうに・・・」「なぜだか」などと、意味をなさない断片的な言葉を返していたと思います。

それでも彼は、自分と世界の存在の不思議を感じてはいるがそれを苦しみとは感じていないようであり、不思議を不思議として感じる自分はおかしくないのだと確かめればそれだけで安心されるようでした。

ただ、彼はそこで「覚った」わけでもないので、その後亡くなるまでに私たちとの間でいくらかの悶着があり、以前と同じように悪態をついたり軽い暴力があったりしながらも、そこにはどこか遊びや「じゃれる」ような雰囲気がありました。彼の肺癌の進行のためにケアする看護師らの手間は増えてきても、看護師らの心労はずいぶん減りました。

医療現場でスピリチュアルな次元の問いかけがあった時には、その時の相手の理解力、心身の状態や信仰などを勘案して個別の対応が必要ですが、基本的にはその問いに直接答えなくとも、スピリチュアルな感覚を感じて共有することが大事である、と今でも私は思っています。

Aさんの魂なのか、この世界のどこかにあるスピリットなのかわかりませんが、何者かが私たちに教えてくれたように思います。