懺悔強迫と呼ばれる症状があります。自分が他人を傷つけるかもしれない(例えば「駅のホームで前に立つ人を突き落としてしまう」「抱いている赤ちゃんを床に落としちゃう」「痴漢をしてしまう」)という強迫観念(加害恐怖)に悩んでいる人が、その強迫観念を身近な人に打ち明けて(懺悔)、「あなたはそんなことをする人じゃない」と言われて安堵する、という確認(強迫行為)を繰り返す行為を懺悔強迫というのです。
このように説明すると、懺悔強迫に悩む人は反社会的・犯罪行為をもくろんでいる危険人物、と誤解されそうです。事実、残念なことですが、懺悔強迫の症状を持つ患者さんは将来、実際に加害・犯罪行為を起こす可能性があるので放置しないで早めに治療を勧めるように、と解説する専門家もいます。
しかし、私の臨床経験上、そのようなことはありません(同意される精神科医やカウンセラーも多いと思います)。私はこれまで、「人を傷つけてしまうかも」という加害強迫観念を訴え、診察室で私に懺悔強迫行為として「大丈夫」との確認を求める患者さんをたくさん診てきましたが、実際に反社会的行為に及んだ人を知りません。彼らはむしろ、「いい人」でなければいけない、との思いが強すぎて、善人すぎるほど善人です。彼らは「絶対に人を傷つけるようなことを考えたり思ったりしてはいけない」という倫理的な潔癖性を持っています。「いい人すぎる」印象を受けます。
彼らは、自分の心の中に悪い考えが浮かぶこと自体が悪い、と考えがちです。でも、悪いことを想像するのと悪いことを実行するのとでは全く違うことです。私たちの心は気まぐれなもので、時には反社会的なこと、たとえば目の前の相手に暴言を吐いたらどうなるだろうか、とか、いきなり相手にキスしたいとか、仕事を投げ捨てて遊びに行きたい、といった衝動や空想が浮かんできます。そういう衝動や空想は、健康な人でも時々感じているものです。小説やマンガには、そういう衝動や空想がもっと膨らまされた形で表れています。
加害強迫症状の原因
ではなぜ、そういう加害強迫の衝動が出てくるのか。それにはいくつかの理由があります。
その理由の一つは思春期です。思春期は人間の生命力が一番活発になる時期です。人間だけではなく動物でもそうですが、思春期にはとにかく何か動き回りたくなり、エネルギーを発散したいという衝動が強まります。その衝動をスポーツ、勉強や趣味活動で発散できる人はいいのですが、その発散がうまくいかない時には心身の不調が起きます。そのような時に初めて強迫性障害(強迫神経症)が発症するのです。(思春期に関連して言うと、チック症(チック障害)が悪化するのもこの頃です。チック症に関連した病状として、汚言症(人前で卑猥な言葉など汚い言葉を言いたくなる、一種の加害強迫症状と言えます)がありますが、汚言症も思春期に悪化することが多いのです。性的欲求が強まる思春期ですが、その欲求は満たされないことが多いので、行き場を失った衝動が汚言症の形をとって出てくるのです。)
しかし、加害強迫のような衝動が出てくる理由は思春期という年齢的な条件だけではありません。社会的な状況も大きく関係します。昨今の職場では、私たちが職務に忠実すぎるほど忠実になることを要求されており、労働者が息苦しくなって仕事を「投げ出したい」と思えることが多くなっているように思います。現代の職場は作業効率を追求することに徹底しており(ある物流センターでは作業員が1時間あたり何個の宅配物をピックアップできるかを毎週グラフ化して公表しています。ある会社のタクシードライバーは1日の動きをGPSで管理されて効率的な動きを要求されます。)、働く人の心理的な余裕を無くします。労働者が「一息つく」ことさえ、雇用者側からは「無駄」として「改善」すべきこととみなされます。その「改善」の道具としてITシステムが利用されます。その昔、チャップリンの映画『モダン・タイムス』で描かれた、非人間的な労働環境はこの現代でも静かに、しかしより強く押し進められています。そういう状況にあれば、人間の自然な反応として、仕事を「投げ出したい」「ぶち壊したい」との衝動が出てくるものです。しかし、真面目な人は、そうした衝動を感じる自分の方がおかしいと考えます。そのような人は、「投げ出したい」「ぶち壊したい」との衝動が出てくると、「こんな考えは自分の考えじゃない」「こんな考えが浮かぶ自分はどうかしている」と思って悩みます。そうなると「投げ出したい」「ぶち壊したい」という衝動は、自分の心に生じる「異物」と認識されます。元々は社会状況から生じた自然な反発感情・衝動が、真面目な人の自己抑制と相まって、強迫性障害の症状を形成するのです。
加害強迫観念が生じる理由は他にもあります。たとえば、「俺はこんな安月給で働くレベルの人間じゃない」とか「本来こんな低レベルな連中と一緒に働くレベルじゃない」といったプライド・自負が強すぎて、ありのままの自分を認められず、自分より「成功」しているように見える人たちに対して「不当だ」との怒りや妬みの感情が抑制できないほど強く生じることがあります。そのように自尊心が高い彼ら(自己愛型人格障害という病理の人もいます)にとって、現状の等身大の自分を受け入れることは大変耐えがたいのですが、その不満や怒りといった感情は自分にも他人にも向けようがないため、行き場を失った攻撃性・衝動は加害強迫観念の形になって表れてきます。
このように、加害強迫観念は、年齢、社会状況や性格などが絡み合って生じます。いずれにも共通するのは、心に浮かぶ衝動性を意識的・無意識的に自分の心の外に押し出そうとするのですが、それがかえって衝動を強める結果となり、苦しんでいることです。
加害強迫症状・懺悔強迫の治療
これまでのお話から、察しの良い人は、そんな潔癖な「いい人」をやめれば楽になるんじゃないの、と言われるかもしれません。たしかにそれはそうなのですが、加害強迫に苦しむ患者さんは先にもお話ししたように、生粋の真面目人間であることが多いので、「いい人をやめなさい」と指示しても困惑するか反発するだけです。加害強迫の治療にあたっては、まずは彼らの真面目・潔癖は基本的に良いことであり、彼らの性格を変える必要はないことを認めて、加害強迫観念が心に浮かんできても反社会的行動に及ぶことはない、という保証を与えていくことなります。
この時の保証、「あなたは悪くない」との保証は、加害強迫観念に悩む人にとっては安心につながるし、「悪くない」と言われることは「善人」と言われたようにも思えてホッとするし、自分を全面的に認められた、とも思えて嬉しくなるので、時々クセになります。お母さんやカウンセラー、主治医に加害恐怖を「懺悔」することをやたらと繰り返すようになるのです。「懺悔」行動が嗜癖化するのです。このような状態は「巻き込み型強迫」とも言われ、確認を求められる側にとってはうんざりするどころか大変な労力を奪われることも多いので、患者さんとの関係は悪くなるし、病状も良くなるどころかかえって悪化します。
そのため、確認を求められる側の御家族や治療者は、単純に「悪くない」と答えることを繰り返すのではなく、かといって「懺悔」に答えることを拒否するわけでもない、微妙な姿勢が要求されます。強迫性障害の治療に慣れていない医師やカウンセラーはこのあたり、患者さんとの治療関係作りでつまずくことが多いのです。専門家でさえそういう事情ですから、加害恐怖を家族だけに懺悔することを繰り返して治療を受けていない人の場合、家族関係がこじれることが多いので、強迫性障害の治療の経験が豊富な精神科医やカウンセラーに相談する方が良いでしょう。
強迫性障害の治療は、薬物療法や行動療法(なかでも「暴露反応妨害法(ERP)」が有効ですが、そうした治療の導入の前に、これまでお話ししたような病理の理解、治療関係作りが大事です。暴露反応妨害法(ERP)の実際については稿を改めてお話ししたいと思います。