前回、広場恐怖についてお話ししました。「広場」とは「ご近所」「なじみ」「安全」と感じられる空間の外、「赤の他人」が往き交う場所であり、その「広場」を怖れることは他人を怖れること、社会を怖れることにつながることがおわかりになったかと思います。
そうすると、広場恐怖を持つパニック障害と社交不安障害とでは、共通点があることがわかります。
実際、パニック障害の症状と社交不安障害の症状の両方がある方がいて、そういう患者さんは「全般性不安障害」という診断がなされます。
そうした障害があっても無くても、ある人にとってどこまでが「ご近所」「中間距離」でどこからが「広場」になるのかは、同じ地域に住んでいても違ってきます。ご近所付き合い、地域交流の盛んな地域で育った子どもは近所を「広場」とは思わないし、ご近所の人の名前どころか顔も知らないで育った人は自宅を一歩出れば「広場」になります。
ある場所が「ご近所」か「広場」のどちらになるかは、物理的な距離には関係がありません。たとえば、私の地域で言えば、多治見市、可児市や土岐市の人は、同じ方言「東濃弁」が使われる地域ならば親しみを感じられて、安心して移動できます。広場恐怖や社交不安のある方でも、30キロ以上遠く離れた中津川市ならば東濃弁が通じるので気楽に行ける一方で、内津峠を超えて春日井市に入ることには大きな抵抗があり(物理的にはわずか数キロのことです)、その時にパニック発作が起きることは珍しくありません。車や電車で内津峠をトンネルで抜けること(数十秒から数分ですが)が大きな障壁となっている人は結構います。東濃の人々にとっては、東濃弁が通じる東濃盆地は「ご近所」であり、内津峠を超えて下りた濃尾平野は「広場」になるのです。
(対人恐怖症、社交不安障害についての一つの治療法である森田療法の創始者、森田正馬は、自身が田舎から東京に出てきて、「都会者には負けない」との意地が強いあまり、対人恐怖や赤面恐怖に悩んでいた時期があったとのことです。内津峠を超えることに恐怖感を抱く患者さんと森田には共通点があります。)
そういう意味で、方言は大事だと思います。方言には温かみがあり、心身の緊張を緩ませる効果があります(カウンセリングの中で不意に方言が出てくる時は、大事な変化が起きている時が結構あります。)。私は関西に住んでいたので実感としてわかりますが、関西人はどこに行っても関西弁で喋り、無理に標準語を喋らない傾向です。それはもちろん、関西人の人口が多く、彼らがマジョリティであるためでもありますが、どの地域の人であっても、どこに移動しようが、自分の方言で話せて、方言が尊重されることが理想です。一人一人の個性を尊重する社会とは地方の方言を許容する社会でしょう。そういう社会では、広場恐怖が生じにくいと思います。
しかし、実際問題としては、東京や名古屋のような大都市の人が地方の方言をバカにして笑うような風潮もあるので、なかなか方言で話すことをためらう人も多いのですが、大都市の中でも相手を選んで勇気を持って方言で話してみると案外受け入れられてお互いに打ち解け合うものです。その時にお互いの緊張がほどけることでしょう。お互いが無理して標準語を使う息苦しさから解放され、その時に、多様な人を受け入れる、真の意味での「都市」空間がそこにできることと思います。